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【人物紹介】上杉憲顕
上杉憲顕(関東管領)イラスト

上杉 憲顕(うえすぎ のりあき)  1306-1368(徳治元~応安元・正平23)

関東執事、関東管領。山ノ内上杉家の祖。憲房の子。
足利尊氏・直義とは従兄弟に当たる。

1340年高師冬と共に関東執事に任じられ、義詮次いで基氏を補佐した。

観応の擾乱では直義党に組し、51年尊氏方の師直の養子師冬を甲斐に滅ぼし、
1352年幽閉中の直義が死ぬと、尊氏と戦って信濃に敗走した。

以後北国に隠棲すること10年ののち、1363年鎌倉公方基氏に呼び戻され関東管領となり、以後氏満の代まで続いた。

1368年上京中に武蔵平一揆の乱を聞き帰還して征討するも、足利の陣中で没した。
享年63歳。晩年伊豆に国清寺を建立した。

◆ 三日月的考察 ◆

憲顕は上杉重能と違い、幕政初期から主に東国で関東執事、また越後・上野両国の守護として活躍しています。

そんな彼は、観応の擾乱による直義死後10年に渡って幕府に背反するなど、大の直義党でした。

直義の方でも、かつて憲顕が越後に派遣された際、憲顕の領国経営を絶賛する書状を送っているなど、信頼は並々のものではなかったようです。

直義の甥基氏もまた彼の統治能力を買っていたのでしょう。
基氏は執事畠山国清を追放したあとに憲顕に執事要請をして鎌倉に戻します。

しかしその時憲顕は法体で、そのため前例がないと幕府との交渉は難航したそうですが、基氏は最終的に憲顕を執事とすることに成功させます。


(基氏の憲顕を招く手紙に「この事は多年の念願」とあって、どれだけ基氏がこの日を待っていたかがうかがえます)

憲顕は基氏の乳母子らしいですしね。(「鎌倉大草紙」。でも傍証を私は得てません)彼のあと、関東管領は上杉氏の独占することになり、東国での覇権を確立するのでした。
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