南北朝時代~室町初期のファンサイト。人物紹介、関連書籍、史跡など。
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【人物紹介】賢俊 
賢俊  (けんしゅん)  1299(正安元)-1357(延文2、正平12)
賢俊

真言宗の僧。菩提寺大僧正と称される。
権大納言日野俊光の子。三宝院賢助の弟子。兄弟に日野資朝、資名がいる。

1320年、22歳で受戒。
1336年醍醐寺座主に補せられ、東寺長者、根来寺座主を兼ね、西走した足利尊氏に従って策謀。
尊氏に光厳院の院宣を受けさせ、京都復帰の足がかりを作ったため、以後尊氏の信任を得て宗教界・政界に活動する。

1357年、59歳で示寂。弟子に光済らがいる。

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九州落ちした足利尊氏に、光厳院の院宣をもたらした人、賢俊。

彼は醍醐寺でもっとも勢力を保持した二流の内のひとつ三宝院流に属し、文観の報恩流と覇権を争っていました。

建武の新政時には醍醐寺は文観の統治下する所となり、賢俊は不遇をかこっていましたが、南北朝分裂後は足利尊氏の護持僧となり、仏教界に君臨して大きな影響力を奮うようになるのです。

醍醐寺座主は22年、東寺長者は15年という異例の長期にわたり、
 「栄耀至極、公家武家権勢比肩の人無し」(『園太暦』)と評されています。

のちの将軍家と日野家との密接な関係とは、彼の活躍によって定まったのです。
 (ちなみに8代将軍義政の正室日野富子は、彼の兄弟日野資名の子孫です)
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