南北朝時代~室町初期のファンサイト。人物紹介、関連書籍、史跡など。
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【人物紹介】儀堂 周信
儀堂 周信(ぎどう しゅうしん)    1325(嘉暦元)-1388(暦応元・元中6)
義堂周信


南北朝時代の禅僧。土佐の人。号は空華道人。
絶海中津と共に五山文学の双璧と言われる。

はじめ比叡山で密教を学んだが、禅にひかれて17歳で夢窓疎石に参ず。
1359年、足利基氏の招きで鎌倉円覚寺に住し、66年善福寺に主となる。

1379年、足利義満の命で帰京し、建仁寺・等持院に住し、1386年南禅寺住持になる。
これ以降、南禅寺は五山の上に置かれた。

著作に『語録』『空華集』『東山空和尚外集抄』『禅儀外文集抄』などがある。
1389年4月4日に64歳で寂す。

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彼の号「空華」は、「現実にはない華が空中に見える」眼病によるものといいます。
儀堂は政治に関わることを好まず、清廉高潔な生き方を望みました。

彼は約20年に渡って東国にあるのですが、その折鎌倉公方足利基氏とは深い友誼がありました。
基氏が28歳の若さで病没すると、儀堂が導師となってその葬儀一切を司っています。

その後、基氏の妻から子育ての仕方について指導を請われると、
 『仏を敬い、僧を尊び、民を恵まば国家令せずして治まらん』と答えています。

また基氏の子、氏満と3代将軍との不和が表面化した時は、その仲を仲介しています。
彼の詩風は雄壮健峻、幽遠古淡で、その作品は中国人をして、自国の作と思わせたそうです。

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