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【人物紹介】足利義詮
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足利 義詮(あしかが よしあきら)1330-1367(元徳2~貞治6・正平22)

室町幕府第2代将軍。父は尊氏、母は北条登子。尊氏の嫡男。幼名千寿王。
正室は渋川幸子(直義の正室の姪)

二人の兄がいたが母が正室だったため、嫡子となる。
1333年新田義貞の鎌倉攻めに4歳で尊氏の名代として参加。
鎌倉幕府滅亡後は何度か追われるも1349年の上京まで主として鎌倉にあった。

上京後は叔父直義に代わって幕政を司る。
58年父尊氏の亡き後征夷大将軍となるも、細川清氏やなどの有力守護の専横や離反が相次ぎ、その対応に苦慮する。

67年病に倒れると、細川頼之を管領として起用、互いに親子と思うようにと遺命して逝去した。
享年38歳。

<三日月的考察>

父尊氏と子の義満にはさまれて、どうにも影が薄い二代目。
一般に凡庸な人物として評されてます。
それは足利兄弟が観応期に義詮を評した

尊氏「義詮はあまり賢い方じゃないようだ。一人ではとても天下を治められまい。あれの弟基氏をお前の養子にして鎌倉におき、いざというときには助けてやってくれ」

直義「そうですな。義詮は少し頼りない。おっしゃる通りにいたしましょう」

なんていうエピソードが現代に伝わっているからかもしれません。

 また尊氏の留守中に南軍に攻められた時に、大事な天皇を南朝に奪われるという大失点を犯したりしてるし。

「鎌倉公方九代記」にも
ただ好色を事とし、美酒と遊興をもっぱらにして、歌道遊興に心を傾け、政道の事はよそになし給いければ、世の人、疎み奉りけり」なんて書かれているし。

けちょんけちょんです。
唯一の功績は細川頼之を義満の管領に任命したこと、なんて言われても仕方ないかも。
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