南北朝時代~室町初期のファンサイト。人物紹介、関連書籍、史跡など。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【人物紹介】足利氏満
足利氏満(二代鎌倉公方)イラスト


足利 氏満(あしかが うじみつ)1359-1398(延文4・正平14~応永5)

二代目鎌倉公方。足利基氏の嫡男。幼名金王丸。

父基氏の死により9歳で鎌倉公方を継ぐ。(執事は引き続き上杉憲顕)

1379年、幕府で康暦の政変(細川頼之と有力守護との対立)が起こると、当時21歳の氏満は京都に兵を送り、将軍義満に変わろうとする野心を抱いた。

しかし執事上杉憲春(憲顕の子)の諌死でとどまり、以後関東平定に力を注いだ。
小山氏の乱を制圧し、明徳の乱後は奥羽をもその支配化にいれた。

また父基氏と同じく、禅僧儀堂周信に帰依。
4代の鎌倉公方の中でもっとも長く治世を行い(32年間)、
鎌倉府の権力の安定化に貢献した。1398年40歳で死去。

<三日月的考察>

「犬猿の仲」と評された義満とは一歳違いのいとこに当たります。

「東国では並ぶものなき権力を持つ鎌倉公方が、なぜ遠く京都の将軍に従わなければならないのか?」

観応の擾乱の悲劇を実際に知らず、生まれながらに東国の主の地位を継いだ氏満が、そう感じ野心を募らせたのは仕方ないのかもしれません。

でもでもお父さん(基氏)は草葉の陰で泣いていたのでは・・?親の心子知らず。

余談ですが、憲春の諌死に驚いた氏満は、野望を抱いたということを後悔したといいますが、その思いは子の満兼や孫の持氏に引き継がれました。

そして持氏の代に反旗を明確に翻し幕府に敗れ、ここに鎌倉公方は途絶えることになるのです。
トラックバック
トラックバック URL
トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。