南北朝時代~室町初期のファンサイト。人物紹介、関連書籍、史跡など。
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【人物紹介】玄慧(玄恵)
玄慧(恵)(げんえ)   生年不詳-1350(観応元、正平5)
玄恵


鎌倉~室町時代の学僧、儒者。一説に虎関師練の弟と言われる。
京都の人。

はじめ比叡山で天台を学んだが、下山して京都北小路に住し独清軒、または健曳と号した。

程子・朱子学を持って後醍醐天皇の侍読となったが、その講座はしばしば鎌倉幕府打倒の密議の場となったと言われている。

建武の新政の崩壊後は、足利尊氏・直義の信任を得て、是円・真慧らと共に「建武式目」を選定した。
『庭訓往来』『喫茶往来』は玄恵の撰といわれるが定かではない。

著作に『詩人玉屑点本』『胡会詠史詩抄』が伝来している。
1350年3月に示寂。

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玄慧は博学を持って知られ、倒幕以前には日野資朝らと親交を持っていたそうです。
宋学に明るく、宮中で「論語」などを講じていました。
 (宋学の祖と言われていますが、はっきりしません)

『太平記』では父尊氏に許容されなかった足利直冬を玄慧が保護・教育し、その才能や風貌に品格があったので、直冬には叔父に当たる直義に紹介した、というエピソードが載っています。

 『園太暦』観応元年三月二日の条には、玄慧の死を「文道の衰微」と嘆いています。
【人物紹介】春屋 妙葩
春屋 妙葩(しゅんおく みょうは)  1311(応長元)ー1388(元中5)

春屋妙葩
臨済宗の禅僧。夢窓疎石の甥。甲斐の人。

7歳で夢窓疎石のもとで受戒。
室町幕府3代将軍足利義満の帰依を得て、天龍寺・臨川寺の住持として迎えられる。

ついで優れた寺院経営の手腕を買われ、等持寺・大光明寺などの各住持を歴任した。

1379年には禅宗寺院の管理と人事を職掌とする初代の僧録となる。
儒学・漢詩文に通じ、五山版の刊行を推進した。

著書に『普明禄』『雲門一曲』がある。

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彼は夢窓疎石の母方の甥に当たります。
政治的手腕に富み、天竜.・南禅・東福・相国各寺の住持として旧仏教の圧迫に抗して臨済禅の興隆に務めました。

いわゆる「応安の激訴」を巡って他の五山住持と共に一斉に退隠するなど、自派のために叡山や幕府とも真っ向から対立したりしています。

その後9年の隠棲ののち、細川頼之の失脚により帰京、ただちに南禅寺の住持という禅宗最高位についています。

彼はみずから管領する荘園も多く、当寺の宗教界、政界に大きな影響力を持ち、その名声は中国まで伝わったといいます。
  ここまで来ると僧、というより政治家といっても過言ではないですね。
  
【人物紹介】絶海 中津
絶海 中津(ぜっかい ちゅうしん) 1336(延元元・建武3)-1405(応永12)
絶海中津

臨済宗夢窓派の禅僧。土佐高岡郡津野の人。
別に蕉堅子、蕉堅道人と号する。

1348年に上洛して天龍寺に喝食となる。
天龍寺に入り夢窓疎石について受戒。

1368年入明。抗州の中竺寺・雪隠寺などに入り、76年帰朝。
その後は天龍寺の春屋妙葩・性海霊見のもとに身を寄せ、80年健仁寺新任の儀堂周信と再会。
天龍寺首座、甲斐慧林寺住持。

1384年、3代将軍足利義満の忌諱に触れ、摂津銭原に隠れる。
のち誤解が解けて迎えられ、等持院・相国寺住持を歴任。

漢詩文集に『蕉堅稿』『絶海和尚語録』がある。

◆ 三日月的考察 ◆

春屋妙葩の亡き後はとりわけ義満の信任が厚く、明徳の乱を平定したのは、絶海の法衣の功徳によると義満が言った事から、急にその名が高くなりました。

義満・義持・伏見宮栄仁親王をはじめ公武の帰依を受け、又一宗内に与えた影響も大きなものがありました。

また彼は漢詩文に優れ、儀堂周信と共に五山文学の双璧と称されました。
明に渡り季潭・用貞ら大慧派の人々に歴参し、その俗的詩文の風と四六文の技法を身につけ、五山に新風を生んでいます。
【人物紹介】満済 
満済  (まんさい(まんぜい))    1378(天授4・永和4)-1435(永享7)
満済

真言宗の高僧。醍醐寺座主。
藤原師冬の子。母は足利義満室業子に祇候、白川殿と号した。二条良基の甥。

3代将軍足利義満の猶子となり、三宝院賢俊に入室。
三宝院25世門跡となり、1395-1434第74代座主。
その間東寺市の長者をも務め、1428年准三后。
(三宝院門跡として最初の准后。)

義満・義持・義教の信厚く、幕政の枢機に参画する。
『満済准后日記』筆者。

◆ 三日月的考察 ◆

 「黒衣の宰相」と称された彼の活躍は、主に室町時代に入ってからになります。
満済は歴代の将軍に尊崇され、護持僧として公武の祈祷に励んだだけでなく、幕政にも関与しました。

ことに将軍義教の嗣立に中心的役割を果たしたため義教の厚い信任を受けました。
義教は将軍の親裁権を強化し有力大名の抑圧に努めたが、満済の意見は重んじて、重要問題についてしばしば諮問した、といいます。

冷静、的確なその判断は、義教の処置が偏頗や極端に走るのを防ぐのに役立ちました。

彼の日記は正確・克明で、15世紀前半の幕政・外交・および社会情勢を知る上で貴重な根本資料になっています。

そんな彼をなぜここで取り上げるのか、と言えば、好きな小説で出ているからなんです。

獅子の座―足利義満伝 (文春文庫) 平岩 弓枝

彼の登場は義満の晩年で出番は少しなのですが、とても美味しい役どころとして登場します。

この本を読むまで腹黒そうなおっさんというイメージしかなかったのですが、ちょっとかなり変わりました!

この青年期を経て、「黒衣の宰相」となっていくのか、と思うと感慨あらた。ぜひご一読を。
このサイトについて 
はじめまして。古屋 三日月(ふるや みかづき)と申します。

ここ「南船北馬(なんせんほくば)は、日本の歴史の中でも特にマイナーな南北朝時代から室町時代初期を個人的な趣味で取りあげたページです。

いろいろ書いてはありますが、おしなべて非学術的、あくまで道楽です。
真に受けずにさらりとお楽しみ下さい。

ところでこのサイトは2000-2003年頃運営、その後だーいぶ長い間、休止しておりました。
でも歴史趣味のいい所は、はやりすたりがなく、時代に置いていかれないこと。

マイナーな時代ゆえ、6年休眠していても、ドラマも映画も何ひとつ放映されておりません。
喜んでいいのか微妙なところですが、生涯の趣味と思いさだめて、のん気に楽しんでいこうと思っています。

どうぞひととき、お楽しみ下さい。


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管理人 :古屋 三日月

・好きな小説・・・「破軍の星」「風の群像」「獅子の座―足利義満伝」など

・好きな人物・・・足利直義、足利基氏、北畠顕家、楠木正儀、上杉憲実など。

・大河ドラマNHK大河ドラマ太平記のDVDを買おうかどうか思案中です。
家には録画したものがあるけれど、画像がざらざらなのです。


 

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

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