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【南北朝なイベント】後醍醐天皇670忌 特別展
いま宇治の平等院で、後醍醐天皇の特別展をしているそうです。

1339年に崩御してから、今年でちょうど670年なんですね~
去年が足利直義生誕700年祭だったことは意識してましたが、後醍醐天皇の没年までは思い至りませんでした;

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■名称 後醍醐天皇遷化670回忌記念特別展~『しられざる刻(とき)の添景(てんけい)』~

■日時 2009年4月25日~6月5日

■場所 宇治市宇治市の平等院ミュージアム鳳翔館(ほうしょうかん)

■時間 午前9時~午後5時

■料金 拝観料大人600円、中高生400円、小学生300円

■お問い合わせ先 平等院(0774・21・2861)

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後醍醐天皇と宇治って関係あったっけ・・・?と思いましたが、後醍醐天皇は平等院に3日間滞在したのだそうです。

それがいつかと言えば、1331年に笠置山で鎌倉幕府との戦いに敗れて、島根県の隠岐に流される道行きの中で。

うーん、知らなかった。
その一時滞在したと伝わる平等院の塔頭の浄土院の大書院が公開されているそうです。
(こちらはすでに申込み終了)

この展示の目玉はなんといっても「後醍醐天皇御像」でしょうね。

(後醍醐天皇の有名な肖像画です。袈裟(けさ)をまとっていて、即位式の密教儀式に臨むという、天皇の画としては珍しい姿の、あの画です)

私は歴史の教科書や資料集で見た覚えがあったかな・・・
貴重な現物を見られるいい機会、行ってみてはいかがでしょうか?
【歳時記】南北朝時代「今日は何の日?」2月
南北朝時代、2月には何が起こっていたのでしょうか?

2/ 1  
 
2/ 2
・懽子内親王の院号を定めて宣政門院となす(1335)
・相模円覚寺道通、示寂 (1339)

2/ 3
・光厳上皇の后寿子を内親王とす
・北畠顕家、垂井宿より伊勢に奔る (1338)
・斯波義種、死去 (1408)

2/ 4
・二条道平、没(1335)
・北朝従ニ位高倉経康、没 (1339)

2/ 5
・足利直義、上杉頼成をして、御厩を管せしめる (1334)
・北畠顕家を鎮守府大将軍に補す    *日付諸説あり (1336)
・洞院実世・新田義貞・脇屋義助、金ケ崎城を出でて杣山で援兵を求む (1337)

2/ 6
・新田義宗、上野で挙兵。宗良親王、征夷将軍に(閏) (1352)

2/ 7
・北畠顕家、足利尊氏追討のため京を進発・西下する (1336)
・菊池武重、兵を寺尾城に挙げる (1337)

2/ 8
・長助法親王.、示寂 (1361)

2/ 9  
 
2/10
・楠木正成、足利尊氏と摂津打出西宮浜に戦う (1336)
・上杉朝房、没? (1391)

2/11
・佐々木秀信、没 (1336)

2/12
・鉄山士安(91)、示寂 (1336)
・足利尊氏、畠山国清・高師茂・山名時氏・土岐頼遠らと航して鎮西に赴く (1336)

2/13
・顕親門院(花園帝母)、薨去 (1336)
・平宗経(56)、没 (1349)

2/14
・北畠顕家・新田義貞ら、足利尊氏を落としてのち凱旋 (1336)
・後伏見法皇、院宣を足利尊氏に賜う (1336)   *4.17説も
・北畠顕家、北軍と伊勢河又河口に闘う (1338)

2/15
・北条時興、兵を信濃に起こし、守護小笠原貞宗、村上信貞と戦う (1336)
・前参議正三位 入江実俊、没 (1341)

2/16    

2/17
・打出浜の合戦(●足利直義ー×足利尊氏) (1351)

2/18
・新田義興・義宗、鎌倉に入り足利尊氏を追走(閏) (1352)
・光厳法皇・祟光上皇ら京都に還幸 (1357)

2/19
・鎮西管領今川了俊、この日京都を発して任につく (1371)

2/20
・足利尊氏・直義、西国落ちして長門赤間関に至る (1336)
・足利尊氏・直義、講和 (1351)
・細川頼春(49)、討死(閏) (1352)

2/21
・高師直・師泰、出家 (1351)

2/22
・恵良惟澄、肥後甲佐嶽で挙兵 (1337)
・北朝正三位 日野行氏、没 (1340)

2/23
・足利尊氏の母上杉清子、死去 (1342)

2/24
・後醍醐天皇、隠岐を脱出(閏) (1333)

2/25
・足利如意丸(4)、没 (1351)
・足利基氏(13)元服 (1352)

2/26
・後醍醐天皇、践祚 (1318)
・高師直・高師泰、斬殺 (1351)
・足利直義(47)鎌倉で死去 (1352)

2/27
・菊池武敏、詫間之親らと筑後大田清水に戦う (1336)

2/28
・後醍醐天皇、名和長年の拠る 船上山に行幸(閏) (1333)

2/29
・後醍醐天皇、船上山にて北条高時討伐の詔を下す(閏) (1333)
・少弐貞経、有智山城に自殺 (1336)

2/30
・楠木正成の赤坂城、落城    *2/24説もあり 1333

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【歳時記】南北朝時代「今日は何の日?」1月
南北朝時代 1月には何が起こっていたのでしょうか?

1/ 1
・千種忠顕・結城親光ら、勢多で足利直義・高師直らと戦う(1336)
・千葉貞胤(69)、没 (1351)

1/ 2
・北畠顕家、義良親王を奉じて鎌倉を発し西上する(1338)
・相模川原尻の戦い(●尊氏ー×直義)(1352)
・北朝、楠木正儀の帰順を認める(1369)

1/ 3
・菊池武敏、菊池山城に拠って、安芸・詫間・小代諸氏と闘う(1336)
・伊東祐広、日向猪野見城に戦死(1338)
・恒鎮法親王、示寂 (1372)

1/ 4
・上杉憲将、高師冬を甲斐須沢城に攻める (1350)

1/ 5
・四条畷の戦い(●高師直ー×楠木正行)  楠木正行・正時討死(1348)
・足利尊氏・足利直義和睦し、鎌倉へ入る(1352)
・山名氏冬、没(1370)
・勘修寺経顕(76)没 (1373)

1/ 6
・賢俊、僧正となる(1337)
・後村上天皇、賀名生に逃れる (1348)

1/ 7
・関山慧玄、誕生(1277)
・楠木正行、誕生??? (1325)

1/ 8
・仁和寺の大僧正、定助示寂(1334)
・尊氏八幡を取り、義貞と大渡に戦う(1336)
・顕家、義良親王を奉じて霊山に入る (1337)

1/ 9    

1/10
・上総妙光寺の日秀、示寂(1334)
・細川定禅ら、脇屋義助の守る山崎を攻め破り、入京
後醍醐天皇、延暦寺に行幸 (1336)

1/11
・結城親光、大友貞載と戦い死す (1336)

1/12
・顕家、遠江橋本に到着。宗良親王、井伊城よりこれに会する(1338)
・赤松円心(則村)(74)、没(1350)
・畠山義深(49)、没 (1379)

1/13
・北畠師重(親房の父)、薨(1321)
・成良親王を四品に叙し、上野太守となし、足利直義を執権に補する(1334)
・北畠顕家、義良親王を奉じて行在に至る (1336)

1/14
・木村貞重、没(1336)
・前関白 二条師忠、没 (1341)

1/15
・桃井直常入京し、尊氏と戦う(1351)
・小山若犬丸、自害 (1396)

1/16
・儀堂周信、誕生(閏)(1325)
・恂子内親王、新室町院を号する (1337)

1/17
・高師冬、自害(1351)
・結城直光(67)、没(1395)
・畠山基国(55)、没 (1406)

1/18
・結城宗広を結城氏の総領とする (1334)

1/19
・関白藤原冬平、薨(1327)
・本願寺の覚如(82)、示寂(1351)

1/20    

1/21
・北条高時(7)、元服(1309)
・赤松則村、苔縄に挙兵 (1332)

1/22
・足利直冬・山名時氏ら京都を侵す (南朝による京都占領3回め)( 1355)

1/23
・恒良親王を立て皇太子とする(1334)
・吉田定房(65)、吉野で死去 (1338)

1/24   
・二階堂貞藤、政所執事となる(1332)
・島津宗久(貞久の嗣子)、没 (1340)

1/25    

1/26
・鷹司冬教(43)、没(1337)
・二条師基(65)、没 (1365)

1/27
・北畠顕家・新田義貞軍により、足利尊氏は丹波へ敗走 上杉憲房、討死 (1336)

1/28    
・青野原の戦い(●北畠顕家ー×高師冬)(1338)
・高師直、吉野の行宮を焼く (1348)

1/29
・北畠親房、誕生(1293)
・建武と改元(1334))
・高師泰・仁木義長、遠江三嶽城を陥れる(1340)
・後光厳上皇、崩御(37歳)(1374)

1/30
・足利尊氏、官軍に敗れ京都より西国へ敗走。官軍、京都を回復す (1336)

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

【南北朝なイベント】名和長年の歌舞伎復活!
南北朝時代の伯耆の武将、名和長年を主人公にした歌舞伎が、なんと44年ぶりに米子市で復活するそうです。

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■日程 :2009年11月2日(月)、3日(火)

■場所 :鳥取県米子市角盤町2の市公会堂

■上演 :約90分

■問い合わせ: 県文化振興財団西部事務所(0859-38-5127)

■出演 :地元の歌舞伎集団の俳優さん
    (6月12日までエキストラも募集してるそうですよ!15歳以上ならOKだそうです。あなたも名和家の若侍になれるかも?)


■内容 :名和長年の一族が隠岐の島を脱出した後醍醐天皇とともに、琴浦町の船上山で鎌倉幕府軍と戦う話だそうです。

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いやーいい町おこしになるといいですね!
そして南北朝ファンが少しでも増えると、もっといいですね!

南北朝ファンと言いながらも、名和さんはあまり知らないので、この際行ってみるのもいいなぁ。

ところで私は鎌倉府なイベントを待ちこがれてるんですが、どこかでないのでしょうか・・?
義経や静もいいけれど、たまには新鮮な風を吹かせてみませんか?鎌倉市さん。


テーマ:日本文化 - ジャンル:学問・文化・芸術

【人物紹介】高 師夏
高 師夏(こう もろなつ)  1339-1351(延元4・暦応2~観応2・正平6)
高 師夏

父は執事の高師直、母は二条前関白の妹。武蔵五郎。

師夏は父高師直が母を盗み出して産ませた子供であるという。
容貌人に優れ心ざまも優しく、足利尊氏に寵愛された(「太平記」)

観応の擾乱では父と共に直義方と戦うが敗れ、1351年2月26日、父師直を初めとする一族共に討たれた。

享年13歳。

◆ 三日月的考察 ◆

たいして活躍もしてない彼をなぜ載せているかというと、「太平記」での師夏の死の場面が個人的に好きだからなんです。(以下は概略)


2月26日、武庫川で一族が次々と斬殺される中、幼い彼は西左衛門四郎という者に生け捕られ、そこで命が惜しくば出家をせよと勧められる。

すると師夏は父師直がどうなったか問い、もはや討ち取られたと聞くと、

「では誰の為に命を惜しみましょう。死出の山など共に渡りたいと思うので、急いで首をお取り下さい」

と死を請うたので、西は泣いてその死を惜しみつつ、念仏を10篇ばかり唱えて斬った。
 
・・もろに「平家」敦盛の影響大って感じですけどね。
何だか胸に残るシーンなので。
未来多い少年の死って、なんとも痛々しいです。
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